今月の一冊!!

皆さんこんにちわ。長府店の要田です。2回目のブログ担当ですがよろしくお願いします。

前回書いた『すべてがFになる』ですがいよいよドラマのほうもスタートしました。シリーズ2作目の「冷たい密室と博士たち」の内容だったのですが小澤征悦さん、渋いですね。このブログを書いている今現在第3話をまだ見ていませんが楽しみです。

さて、今回の一冊は、、、コチラ!!

宮本武蔵著『五輪の書』です。それほど厚い本ではないのですが、ちょうど最近読み始めたところで読破はしていませんが、とにかく奥が深いので一度では理解できそうもないです。当代随一の剣士として名を馳せた武蔵が自身の興した『二天一流』の型、足の運び方や、目線の位置などの基本から、個人戦でも合戦でも絶対勝つための戦略、その先に行き着いた人生観まで伝授するために書いた文献です。

宮本武蔵といえば吉川英治の小説のほうが有名ですが、武蔵自身が遺した文献としては兵法三十五箇条とそれを肉付けしてわかりやすくしたこの五輪の書のみと言われています。

下関は巌流島の戦いが有名なので武蔵について詳しい方も多いのではないでしょうか。知らない方のために少し書きますと、本名は新免武蔵といいます。岡山県(兵庫県説もあります)の宮本村で育ったので宮本を名乗っているようですね。8歳ごろ家出して放浪するようになったのち、13歳で初めて勝負をして29歳で巌流島で佐々木小次郎を破るまで60数回の決闘で一度も負けることがなかった超一流の『兵法家』です。あえて『兵法家』としたのには理由がありまして、単に剣士として強かっただけでなく、勝つことにこだわりぬいた戦略を重要視していたとのことで巌流島でもわざと約束の時間に遅れていき冷静さを欠いた小次郎が負けた、というエピソードはあまりにも有名ですよね。命のやり取りをしていた時代であればこそ、剣の技術で上回る相手にも勝つことへのこだわり、覚悟はかっこいいです。

両手に太刀と脇差を持った『二刀流』が独特の武蔵ですがこれにも合理的な理由があって、そもそも他流派でも二刀で練習することはあるようで、その理由というのが片手で太刀を振るための練習法なのだそうです。いろんな場所や条件、馬上などでも刀を振ることが必要だった武蔵にとって剣道の構えのように両手で刀を握る型には実戦では意味がなかったようです。

さて、大阪夏の陣などへの参加で、一剣士としての戦いから軍隊同士の戦いにも造詣を深めた武蔵ですが、後年57歳の武蔵は肥後国(熊本県)の細川忠利のもとで客分として過ごすことになります。60歳の時雲厳寺の霊厳洞にこもり世話になった忠利のために自分の培ってきた兵法を五輪の書としてまとめる作業の半ば、忠利が亡くなってしまったことに深く落ち込み、自身も62歳、後を追うように癌で一生を終えます。

『万理一空』という、武蔵が生涯を通じてたどり着いた境地は、その人生観までも今なお多くの人に影響を与え続けています。