怪談~その2~

こんにちわ、長府店の要田です。梅雨も明け、夏本番といった暑さが続いていますがおかげさまで連日忙しい毎日が続いております。やはり夏はビールと焼肉の季節でもありますね。
さて、今回もそんな夏にピッタリの『怪談』に関するお話をしようと思います。人一倍怖がりな僕が現在読んでいる(今回のブログを書き上げるまでに読み終わりませんでした…)本がコチラです。

京極夏彦さんの『数えずの井戸』、前回に引き続き大好きな作家さんの怪談シリーズですが、そこは希代の戯作者、京極堂のこと、モデルとなった皿屋敷の源流をくまなく遡った上で素敵なリメイクが施されております。

そもそもおそらく1番有名なのは『番町皿屋敷』ですよね?お菊さんが井戸から化けてでて、いちま~い、にま~いって話ですが元々は岡本綺堂と言う人が歌舞伎のために書いたお話のようです。ところが日本中に似たような話がありまして、例えば播州皿屋敷、つまり兵庫県では姫路城の場内にお菊井戸が残っています。さらに埼玉県行田、石川県金沢、兵庫県尼崎、島根県松江、高知県幡多郡、福岡県嘉穂郡、長崎県福江、宮城県亘理郡、富山県下新川、山形県小国町にも歴史の古い言い伝えや井戸が残っているそうです。

内容的にもピュアなラブストーリーだったり、嫉妬の末の悲劇だったり、誰が皿を割ったのか、そもそもお皿が出てこないストーリーなどなど諸説あるようです。

もともと古い言い伝えでしょうから話が拡がるほどオヒレが付いて伝わるのは当然なのですが、日本全国には移動しながら徐々に伝わっていったのではなく、同時発生したとしか思えないような言い伝えが他にも多々あるようで、民俗学にも興味が湧いています(最近読んでる柳田国男の影響でしょうか)。ただそんな食い違いによってどの話にもすっきりと収まりのいい完結にはなってないように思います。

『数えずの井戸』では敢えてそれらの色んなパターンを通説として最初の10ページで並べた上で、全く新しい設定と解釈を展開しています。本来怪談話はよくわからないことが起こる、不思議だから怖いと感じるのでしょう。ところがこの本では全てが納得できる完結に向かって収まる。京極さんの別の本のキメゼリフでもある『不思議なことなど何もない』状態にスッポリと収まる。それでいて登場人物の心理描写に僕は怖れを感じてしまうのです。色んな考えの登場人物が描かれることで、なかには理解できない価値観のキャラクターにも出会います、本来人間は他人の考えていることなど本当には理解できないからこそ、生きている人間こそが本当に恐ろしいものなのかも知れませんね。